70歳から生き方について考える。
2018-06-08



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     九重(三俣山)のミヤマキリシマ  2003.06.08(脊髄損傷前)


 いつの間にか70歳になった。70歳からの生き方はこれまでの生き方とは違うのだろうか、などと考えているうちに来月には72歳になってしまう。少し焦る気持ちが沸き起こってきた。これではあっという間に80歳になってしまう。日本人男性の平均寿命は80歳、私の寿命は85歳位と考えていたので、これでは何もしないで私の人生は終ってしまうではないか………そんな気持ちになってしまった。さて、どう考えたらいいものだろうか。

 物事には準備期間とか助走期間というのがある。突然70歳になったりはしない。普通はその前に少しずつ将来の生き方の準備をしていくのではないのか。ところが私の60歳代の10年間はさんざんなものだった。60〜65歳の5年間はうつ病に打ちのめされた日々で、もう2度と味わいたくない辛い時間だった。睡眠導入剤と向精神薬で何とかその日その日をつないでいたようなものだった。65歳の時、駅の階段で転倒し頸椎を骨折した。四肢麻痺で寝返りもできなくなり24時間介護が必要な体になってしまった。それから今日まで障害者としての生活に順応することに精一杯だった。重度の障害者として第二の人生が突然始まり、それから老いるという必然が追いかけてきているという感じである。
 「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著 岩波文庫)という本が売れているという。1937年(盧溝橋事件と同じ年)に出版されたずいぶん古い本だ。私も中学2年生の時中学校の図書館で読んだ。覚醒されたというか啓発されたというか、読んだ後で自分がこれまでとは違った人間になったような感じがしたことをはっきりと覚えている。拙いながら私が人生というものを考え始めた時である。

 それから今日までの60年もの間様々なことがあった。そしてそのときどきで私なりに真剣に考えて自分の人生を継続させてきた。30歳の時私は落ち込んでいた。世の中には自分を元気づける妖しげなる術があるのではないか。その術を発見し体得できればたくましくかっこよく生きることができるのではないか、と思った。私は自分の心を支える言葉を探した。人生論というか哲学というかその付近の領域のことを私は「養精術」と名づけた。そして副題を「たくましさの哲学」「かっこよさの哲学」とした。今日まで生きてきたということは、そのときどきで「養精術」の各論をつけ加えてきたことだと言ってもいい。その「養精術」を振り返ってみることでこれからの生き方の一助にしてみよう。未来とは白紙に好き勝手に絵を書くようにはやって来ない。現状の克服の中にしか現実の未来はない。

 いわゆる教養主義なるものを20歳頃までは信じて疑わなかった。しかし徐々におかしいのではないかと考え始めたが、72歳の今となっても本当のところ克服できていない。教養を積むことは良いことだという生き方や考え方を一般に教養主義というが、検討していくと問題点が多い。自分では気づいていないが様々な固定観念が私の思考をいびつにしている、その代表格が教養主義である。それらは束になって私を縛りあげ骨抜きにしているような気がする。それらを克服することをしないでどうしてこれからの自分の未来を考えることができるだろうか。どうすれば様々な固定観念の呪縛から解放されるのだろうか。


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