デイサービスでの話 (2)
2016-01-28



禺画像]
                            涸沢岳より北穂高岳、槍ヶ岳を望む
                                                       2006.5.5(脊髄損傷前)


デイサービスでの話 (1)より続く

Yさん(男性)は山が好きだという。若い時(60年位前)よく登られていたようで私と山の話で盛り上がった。ある時当時の写真を持ってこられた。北アルプスの鹿島槍の山頂に若いYさんが立っている。自慢の写真なのだろう。そして、山小屋である女性と二人同室になり"一夜のアバンチュール"(Yさんの言葉)を楽しんだことを嬉々として小さな声で話された。Yさんはご夫妻で「うぶすな」に来られている。今さら奥さんに聞かれてもどうということはないと思うが、敢えて小さな声で話された時のYさんの顔が忘れられない。Yさんはその時確かに生きていた。

続いて、鹿島槍に登った翌日、穂高に登ったと言われた。えっ?翌日に! 私も北アルプスの主要な山は登っており、地図は大体頭に入っている。翌日に登るのは無理ではないか。「どんなルートで?」思わず尋ねてしまった。しばらく間があって「そんな昔のことは忘れた。」

それからYさんは私と山の話をしなくなった。月日がたち、Yさん夫婦は「うぶすな」に来なくなった。Yさんは足が悪く杖をついていたが、自宅で転倒し亡くなっていた。どんなルートで穂高岳に登ろうとどうでもいいではないか、60年前のことだ。自慢ついでにちょっと口がすべってしまったのかもしれない。私はなぜあんな小賢しいことを言ってしまったのか。なぜ素直に「健脚だったんですね。」と言えなかったのだろう。

昨年夏、皆さんが書いた習字が壁に貼ってあった。"七夕"、"花火" などに混じって奇異なものが二つあった。一つは  "安保法制"   誰が書いたのだろう。もう一つは ”ハルピンの松花江のほとり  すずらん匂う"   95歳のMさんが書いたものだ。Mさんは旧満洲のハルピンの女学校に通い、国際色豊かな当時のその街の思い出をよく話されていた。高校の国語の先生をしていたということで頭脳明晰だ。

山上憶良(万葉集の歌人)はバイリンガルだったという説(百済生まれの渡来人)がありますねと私が話を向けると、たちどころにその歌を一つ口ずさまれた。いろんな人がいる、脱帽。

「今日は木曜日?」「いや、土曜日です。」「土曜日に、なぜ私はここにいるの?」来た! 究極の問いだ。<なぜ私は今ここにいるのか?>  スタッフの人が何というか興味津々で聴いていた。

「おうちの人が申し込まれたのです。」それはそうだろう。「うぶすな」は介護保険のデイサービスの施設だから、土曜日にそこにいるということはケアマネジャーと相談して申し込んだのだろう。しかし、それは嘘ではないが私が期待した返答とは程遠い。学校の試験のように正解が一つということではない。そもそも正解とか不正解とかいう世界ではない。例えれば"事実"と"真実"は似ているがどこかが違う、その違いに無自覚いうことに似ている。


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[脊髄損傷]

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